BLOG


おかしいよね笑

なんでみんな知らないうちに好きな女の子できてんだよ笑

いい子いない?ってあの挨拶そろそろやめませんか?笑


俺は浮いた話なんかないよ。もともと変な女に好かれやすいから女の子と会わなきゃいけない時は「俺ゲイだから」ってジャブを打っておくの。あとあと面倒になることは何度もあって、心底嫌な思いしかしてないから。

女はもういいよっていうのは嘘じゃなくて事実。かといって男に好かれるような男でもないから、恋愛とは無縁の星の元に生まれてきたのかなと諦めている。

そりゃ、冬は寒くて人肌恋しくて遊べばいいかなとも思うけれど、それはさすがに無理。遊んだところでこっちが遊んだと思っても、向こうが弄ばれたと思ってしまえばもうだめじゃん?


だけど、今年の冬は寒いね。ここにきてすごく寒くなってきてまいってる。

適当な女の子いないかな?って意味でみんなに「いい子いない?」って本気で聞いてた俺がバカみたいじゃん笑

みんな話よんでれば本命じゃん笑


すれ違いざまにとか、カフェでとか、同じアパートでとかなんでみんなそんな出会いがあるんだよ、不思議すぎるわ笑


悔しいから色々思いだして、付き合ってもいい女性をピックアップしてみた。もう小学生の頃から思い出をひっくり返したよ。


そしたら、ひとりだけいた。

インド人のお父さんと日本人のお母さんのもとに生まれたアメリカ人の子。ヒンドゥー教とキリスト教の間でいつも悩んでいて、小学生だっていうのに眉間に皺の跡がつている子。美人って類の子じゃないけれど、なんかすごく神秘的な子だった。浅黒い肌に真っ青の瞳。

エキゾチックだった。

あの子、今なにしているかな。クリスマスシーズンだしと思ったけど、もしもヒンドゥー教を選んでいたらクリスマスに連絡することは昔の悩みを蒸し返すことになりそうだし。

同級生に連絡をしてみたら、不思議なことにうちの近所に住んでいるらしい。こんな不思議ってある?!思わず神様!って言っちゃった。


英語しか話せなくなっていたけど、都合がいい。俺も日本語にはほとほと飽きていたところだったから。クリスマスイブの夜、メリーゴーランドの跡地に集合。

この町には興行師がその昔メリーゴーランドだけを設置した跡地がある。今はただの公園だけれど。

まわりまわって巡り合うって意味ではいいんじゃないかな、洒落てるよ。


mary go lound

マリアがまわるって訳したら、聖母マリアを連想して気持ちがざわついた。


ヴィエンチャンに行った仲間の同窓会がある。同期生だけの小さな集まりだ。昨年はコロナがあったから、2年ぶりの再会になる。

同じチームに一際小柄な子がいた。小さい体と細い腕で何ができるんだよって半ばバカにしていたんだけど、ものすごく技術屋で、でかい重機をかなり繊細に動かしちゃう。ロボット戦隊モノに憧れ続けたガキだったからその人がアニメのヒロインに見えて一瞬で恋をした。可愛い人だったけれど、すでに結婚をしていた。それなのになんで海外ボランティアに来たの?って聞いたらうまくいってないのよって悲しそうに笑った。それが2年前。

そろそろ離婚しているかなって思って、今年の同窓会を楽しみにしている。

打ちひしがれて帰ってきた時、誰よりも寄り添ってくれた人だ。

その人は打ちひしがれて帰ってきてなどいない。きちんと現実を知って現地に行ったから多くのことを学んで、日本に足りないことや日本がすべきこと、経済の面でも援助の面でも事業展開をしたり、もっとやりたいから資格が欲しいと大学に行ったりしているらしい。

行動力が俺の何倍もある、あんな小さい体なのに。どこにパワーがあるんだろう。

俺は帰国後こうして2年も腐っているのに、あの人はぐんぐん前に進んでいく。愚痴も言わなければ、人と比べることもしない。笑われることも厭わないような強い人だった。プライベートでは多くの問題を抱えているのに、そんなことを話すこともない人だった。

どうして?って聞いたら、

「家庭の問題はここで何か関係ある?ここに家庭の問題が入り込まないからきたんだけれど」と言われてしまった。

何事もいい加減にしない人だ。

同じような人を俺は日本でもとめて2年も彷徨ってしたらしい。

バカな話だ。

同窓会はクリスマスイブ。

俺は素直に好きだと言えるだろうか。

向かい合わせの席にいつも座る子。

小さなカフェで俺に気づかないあの子が俺はどうやら好きみたいだ。

クリスマスカードを書いているうちに一番あの子に描きたいと思った。俺はあの子の住所も名前も何をしているのかも知らない。ただ、カフェでいつも真向かいに座っている。長いまつ毛と気の強そうな瞳。俺なんかが相手にしてもらえるわけがない、というよりも俺とは真逆の人生を生きていそうだと思っている。相容れないふたりがたまたまカフェで行き合った。それだけだったのに俺はうっかり恋をした。

国籍不明、住所不明、宗教不明。クリスマスカードをグリーティングカードだって送るかどうかさえも迷ってしまう。

聞けば良い、フラれたくらいで死ぬわけがないんだからといつも笑い飛ばしていたのに、そうもいかなくなった。真剣に恋愛をしてきたつもりだけれど、真剣に誰かを欲しいと思ったのははじめてだったみたいだ。

長い髪と、薄い唇、大きな瞳はあまり動かない。いつもブラックコーヒーを頼んで、新聞を読んでいる、英字新聞。

このネット時代にカフェにいる最中はスマホやパソコンを開いているところを見たことがない。

店員とのやりとりを見る限り、日本語は達者なようだった。


指先が青く透き通っていると、赤く腫れている時がある。皮膚が弱いんだ、寒さに弱いんだ。うっかり手を伸ばして温めてやろうとしてしまう衝動性を抑えるために俺は最近カフェに行けなくなった。

スタバとかタリーズとかそういうチェーン店ではなくて、地元のおばちゃんがやっているような小さな個人経営のカフェ、喫茶店っていうほうがいいのかもしれない。


あの子はどんなクリスマスを過ごすんだろう。何もない平日として扱うのか、日本人的に誰かと馬鹿騒ぎするのか、それとも礼拝に行くのか。

何も知らないとなんでも想像できる。だからこそあまり想像しないようにしないと。虚像を偶像化してしまったら俺はまたひとりの人生を歩もうと決めつけてしまわねばならないから。

恋愛は自分を不自由にする、身動きとれなくする。厄介だ。





過去の恋愛のことはあまり思い出さなくなった。つい数年前まではよく思い出していたけれど、なんでだろう、コロナの影響かな。

コロナになって外にあまり行けなくなって、自分に向き合う時間がそれなりに取れるようになると、過去のことばかり考えていると鬱になるんだ。というか実際、鬱になった。コルドバの頃の友達とはビデオ通話しているけど、肌で感じる温度とか匂いとかそういうものを体感していないと自分にこもってしまうなあって感じている。

俺にとって思い出深い恋も内省を繰り返す中でコロナに焼かれてお焚き上げされた感じ。

いろんな恋愛をしてきたつもりはないけれど、そんなふうに誤解されれきたことは事実。好きな女の子にはどんな気持ちか知らないけれど「ガールフレンドがいるんでしょう?」と言われてきた。日本では「モテそうですよね」と敬遠されてきた。なぜか知らないけれど、ストレートに「好きだ」って言わない。不思議だった。俺はふつうにモテる方だと思う。でも好きだって言われたことは数えるほどしかない。過去の恋愛でひとつだけ、その思い出深い恋愛だけが「好きだ」って言われた恋愛だった。


あれ以来、なんか自分が消えてしまいたくなるような燃えてしまうようなやばい恋愛はしていない。そういえばって思い始めたのは内省がすべて終わった今だから言えることかもしれない。

少しずつ飲みにいくこともできるようになって、さて今年のクリスマスはどうしましょうかって話をみんなでしているときに、ケアンズが俺はパスって言って、ああ彼女ねって察したんだけど、みんななんか不思議そうな顔をしていた。自覚はないけれど俺は察しがいい方なのかもしれない。だから俺のことが好きなら素直に好きって言えよってずっと鬱憤が溜まっていたのかもしれない。

小さなアパートをアパルトマンと呼ぶ人が近所にいて、品のいいおばあさんなんだけど、そのおばあさんと毎週日曜日にお茶をするのが俺の最近の楽しみなんだ。

かわいい人で、猫とふたりっきりで暮らしている。その姿もまた可愛い。俺のばあちゃんは去年亡くなった。気性の激しい人だったけれど悪い人間じゃなかった、俺も含めてみんなそんなふうに評価している。大正生まれなんてみんなあんなものって。

その近所の品のいいおばあさんのほうは対局で、大正生まれなのにバカに穏やかな人だった。孫娘がいるって聞いたときすごく興味が湧いた。このおばあさんの孫ならどんなにエレガントなんだろうって。

この間写真を見せてもらったんだ。なんかイメージが違った。髪の短いスポーツ万能って雰囲気の子だった。

「これ、お孫さん?」

あえて聞くと、彼女は

「ええ。いちばん可愛い私の初孫よ」と。

オッドアイは写真の光の加減かもしれない。どうなんだろう、今の写真じゃないからなのかな、それとも本当にオッドアイなのかな。

毎日そんなことを考えている。

クリスマスまであと一週間。あの子名前なんていうのかな。。。


俺はどうやらおしゃべりらしい。余計なことを言うらしい。周りに言われて気づいた。自覚は全くない。

正直な話しかしないし、嘘は言ってないし、何がいけないんだろう?って感じでケロッとしていても、この世界には読まなければいけないルールがあるらしくて、明記していないルールをいちいち確認していたら一歩も前に進めない。

嘘をつかなければオールオッケーじゃんっていうと「お前はまだまだ子供だな」と言われて、

「改善点はどこですか?」って率直に質問したら上司がキレやがった。意味がわかんない。


海外に戻りたいかって別にそういう話でもないんだけど、一歩踏み込むたびに足の運びが違うって言われることに疲れてしまっている。

うちの連中は話し合いたいことと、流しても支障がないことと、共有したいことを自分で決断できるから気が楽だった。決定権を相手に委ねて文句いうやつとは人生共にしたくないんでね、友達は選びます。

さすがに毎日同じメンバーといることに飽きてきたから、出会いが欲しくて久しぶりにナンパしてみた。いやあ、引っかかるには引っかかるんだけど、品質が悪いw

ひっかけておいて申し訳ないけど、直前でお断りを繰り返している。

この間、どうもひっかかりが悪い日があった。先々週の土曜だったかな。

俺にしては勝率が悪すぎる。

通りの向こうに髪の長いイカつい女が逆ナンパしてた。ハイヒールにデニム、ライダースジャケットの女。なんだよ、商売敵かよと思ったけど、向こうは男を引っ掛けているんだから商売敵でもないかと冷静になってタバコに火をつけてその女の行動を見ていた。

逆ナンパ、うますぎなんだよ!

百戦錬磨かってくらいにうますぎた。

高そうで、騙されそうで、賢そうなぎりぎりのラインに狙い定めて2分で落としていった。

鮮やかすぎたよ、本当に。

先週も今週もその女見たさに現場に行った。相変わらず百戦錬磨だった。一番いいところを狙い定めて鮮やかに釣っていく。

俺は俺を試したくなって、女をナンパしてみた。

そしたらさ、女は顔を真っ赤にして逃げていったんだ。

笑ったね、あれは。責められると怖くなっちゃうタイプ。

また来週も会えるかな。あんなのが日本にもいたなんて。世界は広いねw



マイノリティ的な話はなんかサブカルに分類されるのがこの国あるあるだなって思う。

困ってないんだなあって思う。マイノリティって言葉はエミネムが使ってたって、少数派というちょっとネガティブな匂いがするのに、この国のマイノリティはクリエイティブな的な意味を感じる。

俺の考え過ぎかもしれないけれど。

打ちひしがれて帰ってきたのに、日本にいると変に亜種な気がしている。

英語を話すと「日本人の顔してなんでわざわざ英語話すの?」と嫌味を言われたことがある。いや、長く英語圏にいたらふつうに英語が出るでしょう。


うちらには溜まり場になっているオフィスがあって、ここがまた気分がいい。バカがいないからね。仕事に集中している人ばかりだから、ちょっと話しかけてもサラッと流してくれるし。女の人も男の人も詳しく何をしているか知らないけど、会えば「おはよう」とか「こんばんは」とか「お疲れさま」とか言いあうような、すごくいやすい場所。


少し前に、二週間、韓国に短期留学に行ってきたんだけど、その時に知り合ったやつもたまたまこのオフィスにいてさらにいやすい場所になった。

変な日本人だねって言ったら「よくわからない」っていうし、君はこの国でマイノリティ感じる?って聞いたら「他人のことはわかりかねます」っていう子。

国籍は韓国らしい。でも日本に永住したいんだって。どうして?って聞いたら「私は日本で生まれ育ったから、日本のほうが知り合いがいるから」って。

生きずらいと思わない?って聞いたら、また言うんだ「よくわからないわ」って。

真意はわからない。俺たちはまだそんなに仲がいいわけじゃないから、それなりの距離感を保つために言っているだけなのかもしれない。

ケアンズの話は興味深そうに色々質問してくるくせに、俺が何者なのかってことにはほとんど無頓着、「何歳?」って質問すらされたことがない。

なんだあいつって感じ。

日曜、俺は教会に行く。

英語が話せるから。

信仰?そんなものない。

まだ、なのか、未来永劫なのかわかんないけどね。

明日、またあの子に会えるかな、、、、

俺は何もできなかった。故郷に帰る気持ちで日本に帰ってきた。日本は俺の故郷だから。すべてを理解してもらえると思った。

「俺何もできなかったよ」

努力不足だと言われた。

俺が志を持って、考えて計画して、準備万端で現地に赴いて、実際にやってみて肌で感じた結果を正直に伝えて返ってきた答えが「努力不足だったんじゃない?」。

何がわかるんだろうと思った。いろんな言葉に変換して語ってみた。俺の日本語の能力が低いのかもしれないけれど、うまく伝わらなかった。

俺の故郷の日本人はこんな感じだったっけ?って。それこそ浦島太郎な気分。少しずつこんな感じだったなあって調子は取り戻してきたけれど。

俺みたいに海外で暮らした経験がある人は日本人には少ない。せいぜい旅行に行くくらい。旅行に行くことと暮らすことは全く違う。旅行者にはどこの国の人間も基本的に優しい。なぜかって金を落としてくれる観光客だからだ。少々嫌なことがあってもぼったくってそれでチャラにしてくれる。

俺も昔そうだった。海外旅行に行けば海外のマインドも落とし込んできたみたいな雰囲気になるけれど、実際はそうじゃない。ちょっとかじった、そのカテゴリーにさえ該当しない。

ちょっとかじっただけなのに、自分はいかにもグローバルな人間でそれに比べて他の日本人はダメな奴らだと愚痴を言う人間がいる。そいつらのせいで、俺たちのような本気の浦島太郎が損をすることをちょっとは考えて欲しいと思ったりもする。

海外にいけば日本人は外国人だから受け入れてもらいやすい。それを勘違いして、自分の気に入らないことを「これだから日本人は」というのはおかしいと思う。また、そういう定数の勘違いの日本人たちの国内外国人賛美は、いずれ日本人全体の印象をむやみやたらに落としてしまうことになると思っている。

本当のグローバルスタンダードとは、何かの所属とか何人とか民族とか宗教を鑑みるのではなく、目の前にいる「その人」と会話をしてどういう人か知り、その人の背景を見ていくというプロセスのみで成り立っていくと俺は思っている。

トーキョーは「考えすぎ」と笑うかもしれないけれど。

日本人は確かに真面目すぎると言われる。でも真面目すぎるんじゃなくて、出る杭にならないように必死になって真面目ぶっているだけだ。誰も見ていないところと誰かが見ているところではほとんどの人が二重人格だから。

トーキョーは「そんな人もふつうにいるもんだよ」と飄々としている。

俺たちが仲良くなったのは同じ境遇ということよりも何度も何度も会話を重ねることができたからだと思う。コミュニケーションに勝る相互理解はない、そう断言できる。

逆輸入の俺。

冗談は会話だ。お笑い芸人になるつもりはない。だけど冗談がクリーンヒットすればするほどに、必ず「芸人になったら」と言われる。これくらいの冗談は俺のまわりでは子供の頃から当たり前だった。

この国に来ていつも思うことは日常に笑いがない。日常に笑顔がない。見えない言論統制と見えない検閲でもあるかのように、みんな同じ言葉しか使わないし、みんな同じような服しか着ていないし、飛び抜けたことをすると叩かれていた。

流行語が毎年目まぐるしく変わっていく国もすごく珍しい。言葉もすごく豊かな国だと思う。いろんな言い方があるから覚えるのは大変だけど。

でもその時代、例えば、今日使う言葉を全国で統計を取れたとしたら、上位100ワードくらいだけで成り立っちゃうんじゃないかってくらい、使用頻度が偏っていると思う。

俺がちょっと突き抜けたことを言うじゃん?こんな感じで丁寧な言葉じゃなくていったりするじゃん?大体怒られる。面白いことを言って笑ってくれた連中さえも掌を返してくる。

誰にも何も言われていないのに、みんながなぜか我慢していて、その鬱憤の吐口に俺のような飛んでる人間が選ばれている気がする。

我慢する必要ないじゃんって思うけど、「それはお前にはわからないことだよ」って言われる気がして俺は言わないようになった。

なんでかって?そこまで俺はこの国に恩義がないからだ。国なんていうものはいずれ滅びる。でも人間は滅びないから。人がいいと思えば残る、いいと思わなければ残らない。人間は何の力もないことは俺はよくわかっている。

血筋とか民族とか国家とか不確かでありながらも、今にフォーカスすれば絶対的な所属問題はいつの時代でも問題になり、差別の対象になりがちで、でもそんなことで命まで打ち砕かれるのはクーデターを起こしたような連中だけ。

少なくとも俺みたいな末端の人間には影響がないことを、俺は家族の歴史から学んでいる。

難しく考えすぎだよ。特にサンフランシスコとコルドバは神経質すぎる。

東京はいいところじゃないか。いろんな国料理が狭い範囲で毎日のように食えるし、蛇口から出る水は飲めるし、何よりも無視していれば人は殴ってきたりしない。

命を狙われないのは何よりも安全だよ。会話ができなくても、6人も家族が「今」いればいいと思うけれどなあ。

そんなゆるい気持ちで俺は生きてる。うらやましいって言われるから、最近覚えた日本語で答えておく、「恐縮です」。便利な言葉だよね、丁寧に聞こえるし頭良さそうに聞こえるし。

コルドバとは年齢が近い。海外にいた年数も似ている。

この間の結婚式のあと、ふたりでタバコを吸いながら、サンフランシスコとコルドバは都市名としてどっちがモテるのかって話を延々と朝までした。まあ、結婚式の後でかなり酔っ払ってたから悪ノリだったんだけどね。

近くにナンパも名所があって一時間でどれくらい釣れるか試してみた。

そしたら、サンフランシスコが勝率9割。

「コルドバって言ったらさ、それどこ?ホストクラブ?とか言われて。もういいやって。ごめん、ゲームなのはわかってるんだけどさすがにしんどかったわ。そっちは?サンフランシスコって言ったらどんな反応だった?」

サンフランシスコっていうとなんかかっこいいねって言われる。サーファー?とか、知ってる、よくテレビで見るとか、それこそなんていうかよくわかんない褒められ方をする。ナンパの威力としては最大限活かせるね。これ読んでくれてる男性がいたら使うといいよ、あとだいだいの女はサンフランシスコがなんだかわからないけれど、なんだかかっこいいと思ってるくらいだから嘘もバレないw

俺たちが考えすぎなのかもしれない。海外と日本のギャップに戸惑うのももちろん十人十色だとは思うけれど。

俺たちが問題にしているのは、やっぱり看板の問題。日本人の看板意識の強さと自分たちの正義の無さ、そこから派生するような日和見主義。昨日の正義が今日には悪になっている。そして、みんなと同じじゃないと異質なものとしてまともに人間として扱ってもらえないこと。日本に来てから俺を知りたいという人に出会ったことがない。会話ができない、コミュニケーションができない。

俺は自分のアイデンティティと相手のアイデンティティをぶつけて刺激が欲しいと思っている。DEAD SCREENのメンバーみんなもそう思っている。ぶつかるんじゃなくて、ぶつけて刺激が欲しい。化学変化っていうか、ビックバンっていうか、そういうコミュニケーションができる人がこの国には少なすぎる。それが俺たちの暮らしにくさや寂しさの根源なんだ。

もともと7人だったけれど、ひとりが日本人の女の子と結婚した。式中も思ったけれど、すごく会話ができる子だった。それが俺たちの劣等感にもなった。

難しい問題だよね。

結婚したあいつに対しては羨ましくてしょぐあない。他の奴らは知らないけれど、俺は日本人と結婚したいから。会話のできる日本人と。

日本に帰ってきて俺が日本人だってことをあえて言う必要がないことを思い知らされた。同時に日本人だからということがマジョリティなのが日本なんだと思い知らされた。

これって当たり前のことじゃないからね。すごく特別なことだから。自国の民族が自国に住めない民族だって世界を見渡せば山のようにいる。

日本人が外国に住んでマジョリティでも受け入れられるのはどうしてかって俺はコルドバにいる間けっこう考えることがあった。バックパッカーでどこの国に行ってもわりいい感じで俺は受け入れてもらえたから。

結論として、先人たちの功績だと思った。今まで世界中で仕事をしていた日本人が品性を保って生活してくれたおかげで現代の日本人の俺たちは世界で割と好意的に受け入れてもらえやすいんだと思った。

今からのち、100年後同じようなことが起こるかは俺にはわからない。でもあぐらをかいていたら、きっとそうはいかないと断言できる。

日本人として日本で暮らしていると、違和感を感じやすい。それは俺が長い間、海外で外国人として暮らしてきたからだと思う。日本人だから日本語ができて当たり前、日本の文化を知っていて当たり前。言い訳かもしれないけど、俺、20年近くスペインに住んでたんだよ?もう浦島太郎みたいなもんだからって冗談を言えるようなところもほとんどない。この間結婚したやつを入れて7人、それが俺の日本での居場所であり家族だった。実の家族もいるよ。でもやっぱり20年の日本ブランクのせいか、色物扱いされていることは肌で感じている。身内だからはっきり伝えることも論理的というよりも、時に感情的で辛辣だ。俺だって傷つく。

日本は俺たちのような帰国子女や海外生活が長かった奴らかすると暮らしにくい。だから、外国人にとって日本は観光はしやすい国かもしれないけれど暮らしにくい国なんじゃないかっていつも思ってる。社会を変えたいとかそんなことを思えるほどまだ余裕はないけれど、一定の危機感は感じている。

このままいったら、きっと日本は100年後世界中の誰にも相手にされなくなるんじゃないかって。

政治の仕組みも、人々の道徳感も、こんなに不思議な国はないと思う。日本人はそれをわかっているような口ぶりで話すけれど、全くわからないと思っている。だって外国だからかっこいいって思考で俺に近寄ってくる女ばかりだったから。

日本人の女の子だから好きとか、嫌いだとかそんなことは一切ない。けれど、大体の日本人の女の子は俺に興味があるんじゃなくて、俺の見た目とか俺が海外にいたとかそんなことばかりに注目する。良い証拠に俺と会話ができない。「どうしてそう思うの?」と聞くと、この人失礼じゃない?という顔をする。すごく繊細な感情の話になるから、この話はまた今度。

俺たちが都市名をペンネームにしている。俺たちが青春を過ごした土地の名前をそれぞれつけている。俺の場合はモロッコのカサブランカ。綺麗な街だった。日本と比べてしまえば俺にとってすべての街は綺麗だけどね。女性も綺麗だったし、デザインの幾何学模様も俺のお気に入りだったし、海も、それから考え方も綺麗だった。

俺たちみたいな帰国子女や留学生が日本に帰ってきて「海外は良かった」って言うと必ず変な嫌味を言われる。海外経験があることを自慢しているんじゃなくて、海外と比べて日本はこんなところだとただ客観的に意見を言っているだけなのに、なぜか多くの日本人は劣等感からだと思うけれど、自分たちが責められているように感じて、自衛のためにせせら笑う。俺はそういう感覚が海外と比べて日本人はすげえ汚いと思っている。

そのくせ、俺を恋愛対象としている女たちは俺を友達に紹介するときにまず最初にこういうんだ、「彼?なんかあ、モロッコにいたらしい。カサブランカって知ってる?あたしは知らなかったんだけどさw」知らないことをなぜ謙遜みたいに言うのか俺は意味不明だった。聞いていてすげえ不快だった。たとえば、海外に行って「日本にいたらしい。東京って知ってる?俺は知らないけれど」って言われた時どう思う?なんか馬鹿にされた気にならない?

想像力がないやつらだなあって嫌な気分しかしないよね。

親が商社マンだったからティーン時代を俺はカサブランカで過ごした。

ケアンズは、大学の時に6年間留学していた。

コルドバはバックパッカーで17の時にスペインが気にいっちゃって30過ぎまでいたって言ってた。

サンフランシスコは大学からそのまま就職して今は日本の支社に転勤で来ている。

トーキョーは今日本に留学している一応国籍はアメリカ人。じいちゃんやばあちゃん、その上の世代まで遡っていくともう地球上のすべての民族の血が入ってるんじゃねえのっていう男。

ヴィエンチャンは自分が貧しい国の人たちを救うんだって青年海外協力隊でヴィエンチャンに赴いたものの、やることがなさすぎて自信喪失して帰ってきた典型的な日本人。

みんな海外に行って打ちひしがれて帰ってきたのに日本の文化や価値観にはさらに失望させられた連中っていえばカテゴライズできるかな。

だから俺たちはDEAD SCREENって名前にした。見てる世界が死後の世界みたいに絶望でしかないからね。そこに一縷の望みを託している、「これが映画でありますように」。