マインド#(1)
俺は何もできなかった。故郷に帰る気持ちで日本に帰ってきた。日本は俺の故郷だから。すべてを理解してもらえると思った。
「俺何もできなかったよ」
努力不足だと言われた。
俺が志を持って、考えて計画して、準備万端で現地に赴いて、実際にやってみて肌で感じた結果を正直に伝えて返ってきた答えが「努力不足だったんじゃない?」。
何がわかるんだろうと思った。いろんな言葉に変換して語ってみた。俺の日本語の能力が低いのかもしれないけれど、うまく伝わらなかった。
俺の故郷の日本人はこんな感じだったっけ?って。それこそ浦島太郎な気分。少しずつこんな感じだったなあって調子は取り戻してきたけれど。
俺みたいに海外で暮らした経験がある人は日本人には少ない。せいぜい旅行に行くくらい。旅行に行くことと暮らすことは全く違う。旅行者にはどこの国の人間も基本的に優しい。なぜかって金を落としてくれる観光客だからだ。少々嫌なことがあってもぼったくってそれでチャラにしてくれる。
俺も昔そうだった。海外旅行に行けば海外のマインドも落とし込んできたみたいな雰囲気になるけれど、実際はそうじゃない。ちょっとかじった、そのカテゴリーにさえ該当しない。
ちょっとかじっただけなのに、自分はいかにもグローバルな人間でそれに比べて他の日本人はダメな奴らだと愚痴を言う人間がいる。そいつらのせいで、俺たちのような本気の浦島太郎が損をすることをちょっとは考えて欲しいと思ったりもする。
海外にいけば日本人は外国人だから受け入れてもらいやすい。それを勘違いして、自分の気に入らないことを「これだから日本人は」というのはおかしいと思う。また、そういう定数の勘違いの日本人たちの国内外国人賛美は、いずれ日本人全体の印象をむやみやたらに落としてしまうことになると思っている。
本当のグローバルスタンダードとは、何かの所属とか何人とか民族とか宗教を鑑みるのではなく、目の前にいる「その人」と会話をしてどういう人か知り、その人の背景を見ていくというプロセスのみで成り立っていくと俺は思っている。
トーキョーは「考えすぎ」と笑うかもしれないけれど。
日本人は確かに真面目すぎると言われる。でも真面目すぎるんじゃなくて、出る杭にならないように必死になって真面目ぶっているだけだ。誰も見ていないところと誰かが見ているところではほとんどの人が二重人格だから。
トーキョーは「そんな人もふつうにいるもんだよ」と飄々としている。
俺たちが仲良くなったのは同じ境遇ということよりも何度も何度も会話を重ねることができたからだと思う。コミュニケーションに勝る相互理解はない、そう断言できる。
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