オーケイ#(1)

逆輸入の俺。

冗談は会話だ。お笑い芸人になるつもりはない。だけど冗談がクリーンヒットすればするほどに、必ず「芸人になったら」と言われる。これくらいの冗談は俺のまわりでは子供の頃から当たり前だった。

この国に来ていつも思うことは日常に笑いがない。日常に笑顔がない。見えない言論統制と見えない検閲でもあるかのように、みんな同じ言葉しか使わないし、みんな同じような服しか着ていないし、飛び抜けたことをすると叩かれていた。

流行語が毎年目まぐるしく変わっていく国もすごく珍しい。言葉もすごく豊かな国だと思う。いろんな言い方があるから覚えるのは大変だけど。

でもその時代、例えば、今日使う言葉を全国で統計を取れたとしたら、上位100ワードくらいだけで成り立っちゃうんじゃないかってくらい、使用頻度が偏っていると思う。

俺がちょっと突き抜けたことを言うじゃん?こんな感じで丁寧な言葉じゃなくていったりするじゃん?大体怒られる。面白いことを言って笑ってくれた連中さえも掌を返してくる。

誰にも何も言われていないのに、みんながなぜか我慢していて、その鬱憤の吐口に俺のような飛んでる人間が選ばれている気がする。

我慢する必要ないじゃんって思うけど、「それはお前にはわからないことだよ」って言われる気がして俺は言わないようになった。

なんでかって?そこまで俺はこの国に恩義がないからだ。国なんていうものはいずれ滅びる。でも人間は滅びないから。人がいいと思えば残る、いいと思わなければ残らない。人間は何の力もないことは俺はよくわかっている。

血筋とか民族とか国家とか不確かでありながらも、今にフォーカスすれば絶対的な所属問題はいつの時代でも問題になり、差別の対象になりがちで、でもそんなことで命まで打ち砕かれるのはクーデターを起こしたような連中だけ。

少なくとも俺みたいな末端の人間には影響がないことを、俺は家族の歴史から学んでいる。

難しく考えすぎだよ。特にサンフランシスコとコルドバは神経質すぎる。

東京はいいところじゃないか。いろんな国料理が狭い範囲で毎日のように食えるし、蛇口から出る水は飲めるし、何よりも無視していれば人は殴ってきたりしない。

命を狙われないのは何よりも安全だよ。会話ができなくても、6人も家族が「今」いればいいと思うけれどなあ。

そんなゆるい気持ちで俺は生きてる。うらやましいって言われるから、最近覚えた日本語で答えておく、「恐縮です」。便利な言葉だよね、丁寧に聞こえるし頭良さそうに聞こえるし。

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